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熊雑記

熊の雑記

情報発信の危うさ

オピニオン記事だとか「俺はこう思う(ドーン)」みたいな記事って、気に入らない人は突っ込むけど隙が無い。突っ込まれたとしてもそれは何かの誤りを指摘するものにはなりえず、怨嗟の情に過ぎぬと切り捨てられても不自然ではない。

 

しかし公然たる事実や人命に関することについての情報発信である場合は、このようにはいかぬ。自分の愛する分野であり、かつ誤情報が世間に広まるのを憂慮してブコメなどで突っ込みを入れる。

 

これに対して書き手がどのような反応を示すかというと一様であるが、俺は正解のある情報発信であるとかセンシティブなことについての反応は看過すべきではないと考える。自分が知らなかったことへの恥じらいの気持ちであるとか、記事に突っ込みを入れられたという刹那的な意趣返しの感情も惹起するであろうが、やはり間違った情報は間違っており、それを正すのが発信者の責務であろうかと。

 

正解のはっきりしないものについて、ある事柄を断じて述べてしまった場合に意図せず炎上してしまった場合などは、自分の中の自信と照らし合わせて意見を貫き通すのか、記事を修正するのか、はたまた削除という極端な舵を取るのか。これもそれぞれの対応次第であろう。

 

俺は、そうだな。そういう話題には「触れない」ほうが良いなと考えている。自分がかつて経験したり学んでそれなりの含蓄があり、インターネット上の広い知見に対してモノ申すくらいの実力があれば話は別だが、Google検索でちょちょいと調べただけでは、とうてい繊細な題材など扱えぬだろう。

 

今日書いた記事も若輩ゆえに様々な突込みがあり、つど記事を修正していった。一昔前なら記事に突込みが入った時点で怒りが先行し、ブックマークに蓋をしていたのであるが、今回は安全問題や法に関わる問題だけに、真摯に向き合って記事を修正していかねばならんなと考え、そのような作業をした次第。

 

それにしても余計な一言の多い突込みも多々ある。一枚めくれば人格否定ともとられかねないものもあり、それはどうなのかなと思いつつここらへんがはてなの文化であるのかなと半ば諦念の気持ちがある。しかしながら、このようなコメントが連なるとブコメを一瞥するのも苦痛になってくるため、度を越した以降は修正作業が滞ってしまう。

 

とどのつまり、専門分野やセンシティブな話題は、できるだけ触らないほうが良いということだ。もし題材に選んで記事を書くのであれば、相当な含蓄であるとか覚悟が要るということよな。しかし所詮は個人のメディアであり、それを信じぬも信じないもユーザー次第なわけである。そこに強制力はない。あとは情報発信者としてどのような矜持を持つことができるか。ここに尽きるのではないだろうか。

 

以上、戯言